セブは安全?!もし、突然大型の台風に見舞われたらどうなるの?その2

2021年12月16日、セブは、とても大きな台風に見舞われました。

そしてインフラの全てを一夜にして失ったのです。

コロナで、世界一長いロックダウンを乗り越えた矢先にこれか。。。と落胆したのは言うまでもありません。

 

今回は、前回の続き。

どのように台風被害を乗り越えたのか?また、普段どんな備えができるのか?をお送りします。

 

コンドミニアムか一軒家か?論争に度々なりますが、災害の時思ったことは、ジェネレターを持っているコンドミニアムは、強かったです。水や電気がありました。

 

ただ、コンドの人は、ガスが使えないので、料理出来ない、エレベーターが動かず、高層階は階段と地獄のような生活でした。

 

まず、朝イチに私たちが動いたのは、役割分担を分ました。

すぐに向かうのは、ガソリンスタンドとスーパー。

 

 

スタンドでは、もちろん家にある車、バイクは満タン。

あとは、フィリピンは、別売り出来ますので、消毒液の容器にガソリン。

水の入った容器はだめです。この時に少しの容器を残して置いてよかったと思いました。

 

スーパーで買うもの。本当は、備えた方がいいんでしょうが。

早く行ったので、私たちは混まずにすみました。

1、インスタントヌードル、パスタ、パスタソースなど安易に食べれるもの。

2、米、オートミールなど、ガスの家は腐らないもの

3、缶詰

4、ろうそく、充電式のライト、ライターなど

5、ウエットティシュ(シャワーが浴びれなくなるため)

 

島国のセブは、そのほとんどを外からの輸送でまかなっています。

なので、インフラが止まると言うことは、物資、ガソリンが受給されなくなるということです。

 

当時の様子を詳しく知りたい人は、セブ島在住ユーチューバーのいくぴーチャンネルを見るとよくわかります!

 

よかったこと

1、コロナで、消毒液がたくさんあったこと

2、年中夏のなで、蚊取り線香や虫除けがたくさんあった

3、ハエトリがあった

4、東日本大震災を乗り越えていたので、危機感があった

5、鍋でご飯を炊くことを知っていた

 

やはり、東日本大震災を経験していたことによって、危機感はありました。

朝イチに動くことで、災害に慣れていないフィリピン人よりも先に動くことが出来ました。

そして、それから困るであろうことは予想できましたので、物品などすぐに揃えることができたんです。

人数が多かったため、担当を割り振りできました。

冷蔵庫はダメになるものから料理して食べました。

何より、仕事もストップしていたので、皆会社には行くものの早く帰ってきてご飯を食べました。

電気もないので、ダラダラと携帯を見る時間もなくたくさん話をして笑い飛ばしながら楽しく過ごせました。

早く寝て、早く起き健康的な生活でした。

 

フィリピン人は、こんな時も笑顔で責めることもなかったです。

優しく井戸水を分てくれたり。ただ、それを飲むのは躊躇され沸かして飲んだりしました。

何が足りない、何がいるなど、お互いに助け合って生活できたこと。

フィリピンでよかったな〜って思います。

あとは、日本人の友達も水のあるコンドの友達もシャワーを貸してくれたり、電波もないので、突然の訪問も快く受け入れてくれました。意外に楽しかったです。

 

動いているランドリーと水屋がとても混みますから、そこも情報や友達で協力して暮らしていけたのでした。

また、多くの友達と協力できたことで、ボランティアをする余裕までありました。

 

これから備えたいことは

1、断水も多いセブでは、空のボトルに水を貯めておく。

2、缶詰などを買い置きしておく、パスタ等も在庫切れをおこさず備える

3、ろうそくやライターを常に備える

4、飲み水は、常に2、3本切らさずに置いておく

5、いつも現金を少し家に置いておく(ATMも止まり長蛇の列)

 

気をつけたいことは、電気代。

このあと、ジェネレーターを使っていたコンドや一軒家でも、電気代が上がりました。

使えるからとたくさん使ってはいけません。その分は、後からやってきます。

 

災害から、たくさんのことを学びます。

日本だともっと早い対応なのに。とか不満はたくさんあります。

でも、足るを知れました。日本と比べて、、、という言葉もなくなりました。

意外にいつもパンパンだった冷蔵庫は、掃除をしてスッキリしました。

 

ストックがすぐにわかるように余分なものが減りました。

どこにいても災害はつきもの。

日本人は慣れているとはいえ、災害になったら、備えて家族の生活を守りたいですよね!

 

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